えでぃしず えでぃしず

コラム


Date | 2020-03-14

何もできなくてフリーランス。

編集という仕事は不思議だ。手に汗にぎる推理小説や感動のノンフィクションは書けない。心に残る印象的な装丁もできない。いま思えば、その頃していたWebと印刷物のディレクターの仕事もそうだった。カッコいいコピーライティングも無駄のないコーディングもクールなデザインもできない。だから、お給料をもらいながらディレクターを続けていくのが30代半ばまでに何者にもなれなかった自分が生きる道としてはそれなりに正しい選択であったと思う。2011年の3月の10日までは。

翌11日、東京のビルの8階で感じた凄まじい揺れはそれまでの価値観を全て吹き飛ばした。「何もできないということは何でもできるということだ!」。いま思えばどうかしていた。たしかに心身ともに疲弊していた。が、そのとき、自分の人生は自分で決めたいと思ったのだった。ほどなくして会社員を辞めて、フリーランスの道を歩み始めた。

あれからちょうど9年。生きていくためにはやりたくないこともやり、とは真逆の、せっかく自由なんだからやりたいことをやろうと、ディレクター時代のクライアントから仕事をもらいつつ、映画製作に参画したり、人口5000人の町に移住して町おこしに関わったり、好きな作家のTシャツや本やDVDを作ったりしてきたため、自分が世間で言う「フリーランス」に当たるのか今もわからない。いや、そもそも「フリーランス」を目指したわけではなく、インディペンデントでいたかったのだ。

できないことばかりなのは今も変わりないし、収入も会社員時代とは比ぶべくもないのだが、標高700mの富士山麓で子育てしながらの毎日はそれなりに楽しいので、あのときの選択は間違っていなかったのだと思う。

(虹霓社/古屋淳二)