えでぃしず えでぃしず

コラム


Date | 2019-10-15

靴みがきのにおい

久しぶりに靴を磨いた。
靴墨のにおいをかぐと、高校時代を思い出す。

当時(今はどうだかさっぱり分からないが)、田園都市線渋谷駅から井の頭線を目指すためには、地下からの急勾配な階段を上る必要があった。その階段を上ると、毎朝おばあちゃんが2人座っていた。
靴磨きのおばあちゃんだ。

おばあちゃんは地べたに座り、ビジネスマンが履いたままの靴を差し出す。
15歳の私にとっては、ショッキングな光景だった。

おばあちゃん、かわいそう。

そんな感情だけを抱いて、あまり見てはいけないような気分になりながら、毎朝通り過ぎていた。

その時、私が履いていたのはピカピカの黒い革のストラップシューズ。
セーラー服によく似合う(そしてルーズソックスが似合わない)指定の革靴だった。

私の実家は裕福ではなかったけれど、いつも靴はピカピカだった。

靴を磨いていたのは父だった。

毎週末、狭いマンションの玄関にこもり、
通勤用の革靴と、私と姉の通学靴をいろんなブラシや布を使って磨いてくれていた。

「どうだ、いいだろ」

月曜日の朝、必ず聞かれるこの質問に「はいはい」と面倒くさそうに答えながら靴をはいて出掛けていった。本当はうれしかった。

父は私が実家を出る時、22歳の私に、なぜか靴磨きセット(たぶん安物)を持たせたのだった。

しばらくはそのセットを使って磨いていたが、
子どもが誕生してからはすっかりスニーカー生活になり、
夫も革靴をあまり履かなくなったので、
この6〜7年は靴磨きをサボっていたことをここに告白する。

随分くたびれたわが家の革靴たち。

私は家族の革靴を、父から17年前に渡された靴磨きセットで磨いた。
渋谷駅のおばあちゃんたちと、狭い玄関で体を丸くして磨いていた父を思い出しながら。

色が薄くなった部分に墨を塗り込み、ブラシや布でこする。
どんどん艶が出てくる。ピッカピカに。

靴を磨くことは喜びだったんだ、と今さらながら気付く。
おばあちゃんたちは、ただのかわいそうな人たち、ではなかったのだ。
おばあちゃんたちは、磨くことに職人の誇りと生きがいを感じていた。
ビジネスマンはきっと常連客でおばあちゃんじゃなきゃダメ、だったんだろう。

父も、靴がきれいになること、娘たちがきれいな靴を履くことに喜びを感じていたのだ。

そして私もこの先、靴を磨けば家族に主張するのだろう。

靴がピカピカになったことを、くどいほど。

靴みがきは心みがき。

(ライター、大楽眞衣子)